左利きだった私のいとこは、
小さい時から厳しくしつけられ右利きなりました。
でも今は左利きの人の多くは左利きのまま過ごします。
昔男の子になりたかった私の友人は、
それを隠すのが辛くていつも泣いていました。
でも今は泣く以外の方法があるんじゃないかなと言います。
私たちは右利きが多数派なので、
うっかりそれが「普通」とか「正しい」と
勘違いしてしまうのかもしれません。
見た目と心の性別が同じなのが多数派なので
うっかりそれが「普通」で「正しい」と
思い込んでしまうのかもしれません。
左利きを治そうとした親たちは、子どもが多数派でいるほうが良いはずだと信じていましたし
性のあり方は1種類のほうが良いと信じる多くの人がいました。
でも私たちは、多数派が正しくて少数派は多数派になるべきだ
という考え方に大きな違和感と居心地の悪さを感じています。
いろいろなあり方や生き方を認めない、多様性を認めない、ということは
私たち自身が誰かのあり方や生き方を妨害することになります。
私たちは誰かの生き方を「障害する者」にはなりたくありません。
発達症があることを他人に伝えるのはまだまだ難しいことです。
でも5年後、10年後はどうなっているのでしょうか。
それは、私たち自身に課せられた未来への大切な宿題なのだと思います。